ダンサー・インストラクターRhiaの誕生まで①

文:Rhia

Rhia★Studioを開講して8年。

2020年4月、レッスンをオンラインに切り替え、

全国から会員さんがアクセスしてくださるようになり1ヶ月。

全てのレッスンにはRhiaの想いがたくさんつまっています。

ただレッスン動画の限られた時間の中ではRhiaが本当に伝えたい

「人として、どう生きるか」の部分は

十分にお伝えできないと思ったので、

改めて自分の半生を振り返ってみることにしました。

会員の皆様にもそうでない方にも、

Rhiaという人物像を知っていただきたいという気持ちで、

ここに自己紹介をさせて頂きます!

熱い想いが溢れて長文ですが(笑)ご一読いただけたら嬉しいです!!

大学卒業後、某アパレル会社に就職。

面接時に”私は笑顔でお客様に喜んでいただけるようなお仕事がしたい”と

一生懸命エピソードも含めながら訴えていたのを覚えています。

幼少期からダンスを習っていて、ずっとずっと本当はダンスに憧れていました。

小学校に埋めたタイムカプセルにもバレリーナになりたいって書いたのを覚えています。

若いギャル時代はパラパラとかやったり笑。

クラブで踊ってるダンサーの世界観が知りたいとずっと思っていました。

Hip Hopダンスに打ち込んでいた時代。前列真ん中がRhiaです。

しかし現実時には私は厳格な両親に守られながら、

“歩むべき”ルートに乗っかって大学卒業、無事就職しました。

その自分の中の我慢の糸が切れたのが、

その就職先でのなんだか理不尽な部署移動を要求された時です。

より都合が良いからと言って、栄転ではあったのですが、

給料が増えることもないという会社側の事実に、、、。嫌気がさして、退職。

当時大学時から付き合っていた彼(今の旦那)を置いて、

ちょうど転勤でNYにいた両親のもとに転がり込みました。

(両親のおかげです、感謝🙏)

ベリーダンスとの運命的な出会いパート①

NY行ってから最初の時期はなんだか馴染めずに悶々としていましたが、

ダンスレッスンに行きたくてネットを探していたら、魅惑的な音楽が流れてきました。

だって本当は当初興味があったレゲエダンスが習いたくて調べていたんですよ!

ベリーダンスとの運命的な出会いパート②

そして早速レッスンに行き出したら!

なんて身体が喜ぶ動きなのかともう夢中で!おうちでも必ず復習❤️❤️❤️

楽しくて楽しくて仕方なかった!

(いままでバレエ、ヒップホップ、ジャズなど若い頃からやりましたが、

好きだけどどこか背伸びしないといけなかった。)

ベリーダンスとの運命的な出会いパート③

ここからがすごくて!毎週必ずレッスンに行き続けること

たった4〜5ヶ月くらいだったと思いますが、

当時通ってたSerena Studioの先生Doritに、

今度イベントがあるから一緒に出ないか?と声をかけてもらいました!

先生がメインでその生徒が前座として出してもらえるという、

もちろんよくあることではあるのですが、私はこれがさらなる自分と

ベリーダンスの運命性を高めてくれた出来事だったのです!

運命を変える英語の師・演劇との出会い

実はまだまだ私のベリーダンスとの運命的な出会いエピソードは止まりません!

当時は学生ビザでNYに行っていたので、毎日通っていた学校がありました!

Hunter Collegeです。

毎朝8時からの授業!本当に楽しい学生生活でした!

何が楽しいかというと、私は当時英語は得意だったので、

演劇をメインに留学生に英語を教えるコースを取っていました。

その講師であるMichele Thomas!!!

多分彼女が今の私とベリーダンス、いや私がいまダンサーであり、

先生でもある全ての根元となった先生です!

彼女の演劇のクラスは決してただセリフの練習をするというものではありません。

セリフを覚えて、発表するのはワンターム(8週間)のうちの最後の2週間くらい。

それまでは、シェイクスピアやら様々な文学を読解したり、

その一つ取り上げた文学についてのリサーチをし、その発表したり。

私は毎晩徹夜で論文を書いては、翌朝の提出や発表をする毎日でした。

(ベリーダンスのレッスンにはもちろん行きながら)

要は私の先生Micheleは私達に頭から指先まで、その作者を根本から

理解させてから私たちにその作品を舞台で演じさせたのです。

私にとってはこんなことは初めてでした。でもとにかく覚えているのは、

震え上がるほどの興奮と緊張と高揚です。

タームが終わるともう寂しくてまた次のタームが待ち遠しくて仕方なくて。

そして運命の瞬間、なぜMicheleが私の運命を変えた一言がありました。

“貴女は女優になりなさい”って。

たかだか学生ビザを持った留学生による演劇です。

お世辞が上手いニューヨーカーからの”よくやったね!”の賛辞です。

でももうその時の私にとっては、あの言葉は全てを投げ打ってでも

勝ち取ったような最高なターニングポイントとなったのです!

その後は、最上レベルのクラスを充分取得した私は

HuterCollegeには在籍出来なくなり、新たな挑戦をします。

それはフィットネスの学位を取るというHuterCollegeのContinuing Educationコースを選びました。

そこで、解剖学、栄養学、実技を学び単位を取得。


更なるフィットネスへの興味、ダンスの上達のため、いまはなきNYのダンス名門校でもあったDance New Amsterdamにて

ピラティスの師Teri Steeleに出会います。

学生ビザを継続するためにも在籍する学校を決めなければならなかったので、

ビザステータスを滞在が短かくなるダンススクールに変更しました。

そこで以前より受けていたTeriのピラティスに講師養成コースがあることを知り、

ピラティスインストラクターコースを半年かけて受けることにしました。

いま考えると、Hunter Collegeで学んだ解剖学などが活かされて、理解度が深まっていたことがわかります。

何しろ全てが英語、全く馴染みのない専門用語で全てが説明され、

さらにはそれを教える実技もあるというのはかなりの難易度でした。

毎晩夜中まで英語で復習、暗記していたのを思い出します。 

でもこれも全てあの演劇コースで培った努力をすることを諦めない力がついた成果が現れていたと思います。

その後無事資格を取得、帰国を決めるまでの半年ほどで、英会話講師の資格も取りました!

もうやれるだけのことはやり切る覚悟で、最後はがむしゃらに努力をしました。

そして、もうNYでやれることは全てやったと思たので、

ずっと遠距離していた今の旦那と結婚して生活を共にすることを決め、

帰国することにしたのです。


この経験を是非みんなに伝えたいと強く思いました!

夢を信じて諦めなければ必ず叶うということを。

そして飛行機に乗り間も無く着陸の瞬間が、そう、、、それがあの3.11の日。

この続きはまた次の機会にお話しします。

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